2009年8月1日土曜日

サーヴィスやってたりしての本音!?

というか、戯言ですが、
今は広島に向かう新幹線に乗りました。…
お弁当売りのお兄さんが、フランス人ファミリーに5分程つかまっています。


さておき、それにしても日々 お店でも様々な人と接しますが、
最近毎瞬思うことがあります。

人の優しさや礼儀に感動したりすることが、実は多いんですが、

時には無視されるような態度に傷ついたり、
ムッとしたり、楽しかったり…

まるで人間図鑑のページをめくってるかの様ですが、

結局その認識をしている 全て自分なんだなあと。

目の前に現れている現象は全て 認識している自分です。

分からないことは認識しないもんなあ。

障りあることも、喜ばしきことも、 全て人を介して自分が感じているので、

言い方を変えれば、目の前の人は全て自分みたいなもの。

長い歴史の自分の中の、
ある時の自分に出逢ってる みたいなものかなと。

自分と相手として区別するから 過剰な反応もおきます。
また表面的な自意識もそう。

もし許し難いというような事があったりするのは、自分の心の中を、自分で区別して認めない、裁いている、みたいなところもあります。

こんなものは、自分で認めて許して愛してあげるほかないなあ って。

いつまでたっても障りある心より、 それをチャンスにする心もあります。意識の視点の話ですが。

すると 痛い気持ちはあっても、それと共に、暖かな快 を感じます。

快という感触は、生かされて生きている、命の証みたいなもんでもあります。湧いてくるものですから。

ホントはこっちの方がいいんだよなぁって。そう頷けます。

日々の自分は ホントにちっぽけなもんですが、勇気づけられます。

楽しむ選択 で生きていたいという スタンスがありますね。