2011年12月4日日曜日

仕入れ帰りに


生きている最後の時かもしれない、と

震災後、やはりどこかの片隅にずっとありますね。 次の瞬間、、、

だとしたら、何がしたいか、 何の為に生まれてるのか、、

、、ていうと、これは少し恥ずかしい言い方ですが、

「ありがとう、って御礼を云わなくっちゃ」ってのがなにか

まず思い出されるように浮かんできます。

平素の現実への反応する感情的な我が身からすれば、至極お恥ずかしい至りなんですが

この時折に思い出されるようになった感触は不思議に

ベースに在る感触です。

アタマがズドーンと下がる思いのときもありますが、

ただ少しの微笑みを交わすことや、投げかけるだけのことだったり、

さりげなく意識を向けることだったり、

そんなことが、日常の 例えば仕事の 中にもあることに自覚しながら、

そういう風に在ることを意識していくと、

いかに自分が現実の表面にとらわれているかがアホらしいし、

ありがとうの様々変形によって世界が出来ていると思えてくる。

ありがとうのバリエーションコレクションだと思って世界を観たり、

行動したり、創ったり、

言葉にすると恥ずかしいような感じですが、

でも密かな本音はそんな感じもします。

これこそお恥ずかしながら、、って感じですが。