2010年1月12日火曜日

スタンダード



”それもいいよ“って感じで
かつをぶしの煮出し時間は半分でした。

ちょっと枠外れなレシピですが、
みんなの反応はなかなかでしたし、
お客様から帰ってくる“残り”も少なかった。

柔らかく素材の甘みがよく出たピークがこの煮出し時間にもあったのです。
ただ、 ちょっと繊細な味わいです、
今日のお客様に、食べてもらえたら、
と思ってたら、 予想外のおだし完売でした。

、、いいな。

素材の声、
あるいはそんな感じがする、
のフィーリングと遊ぶ事、
これって実は忘れかけの
子供時代の生きるスタンダードだったような気がします。

それは次々展開が起こるシンクロの恍惚感の中にあります。
友達との遊びの中など、総てです。
頭は悪いので、毎度期待はゼロです。
それに怒られるまで怒られる事とはわからないし。

仕事は、その感触と、知性的快と統合されていく、
人間的なデリカシーと遊びの幅を楽しむもの、
そんな気分もありでしょうか。

さていつも “これもいいな”と思う仕上がりの時は、
あの人に貰ってもらえれば、
と、 ボトリングして、
可能そうな人に送ったり貰ってもらったりします。
味の時間経過の実験にもなります。

商いは、お金を代償として頂くシステムの中で、
その上での学びや高みも貴重ですが、

そのもともとは、 素材も、
もともとは何も総て  ただ です。

なんでも金を払えばというのは、現代の妄想で、
総てを創ることのできない僕は、
なにもかも、 与えてもらいーの、
それぞれのいのちがあってこその、
もらいっぱなしという感覚が本音です。

こんなん出来たよ!は、
ひょっとして喜びの共感があるのかないのか、
関係なく貰ってもらう相手に愛を感じる、
好奇心の行為です。

それが、どうでしょうか、
わざわざ 求めて来て下さる人もいっぱいいらっしゃるのです。

商いの スタンダードな喜びは、
僕はこんなとこにあるように思います。