朝一の新幹線で、東京へ。
そこで連絡が入って中央線で新宿へ。
それから久し振りにモノレールで急いで羽田へ。
広島の便に乗り、
僕の好きだったおばあちゃんに会い、
ふわあっと美しい旋律を胸に聴き、
最終便で京都へ帰ってきました。
明日(今日) は、 仕込みと仕入れをして、昼からまた広島へ行きます。
そのおばあちゃんは、
着いたその時に、息をひきとられたのですが、
晴れた空を眺めていると、
なんだか解き放たれたおばあちゃんの、
自由で伸びやかな無邪気な旋律を(で)感じて、
勝手に ピアノ音で、 こんな表現ができたらいいなあ なんて思っていました。
人として生きながら、表面的な 感情や 思考やら、そんなものが私だとか、
アイデンティティだと思いがちなもの、そんなのを
わざと限られた感性の中で、強度に体験する好奇心で生まれて来た人生かな、
なんて感じるのですが、
その時間の今を 味わい楽しんでるその感覚基幹のような、
永遠の今のような意識は、
また 今でしか味わえない経験出逢いを否定することなく、囚われることなく、
自由であることが出来るよと、
そんな 唄というか旋律であったりする、いのちはいのちの賛美歌かな…
そんな事を 徒然思う おばあちゃんとの出逢いの日でした。
つれづれでスイマセン。
紫陽花も うたってるみたい。