2010年6月18日金曜日

対機説法




お釈迦さんは、
相手の意識にあわせて、
今、この瞬間、その人に必要な情報を
与えたそうだ。 
(しかも結構 常識外れなハチャメチャな、)

知の源、自分、相手、
三位一体を駆け抜ける
インスピレーションはさぞかし
心地良いものだっただろう。

それは結果という 時間を超えているのだから。


信という愛の側面も含まれている。

仕事場では
自分の話は、かたいなあ、と
話しながら思うとき、

たいがい、危機管理的思考の動機バランスがある。

ああいったら、勘違いするかな、といった
形骸化した、知の暴力的な使い方で
相手も自分も束縛しちゃってます。

体系的な知は必要だけど、それは
編纂というかアレンジ、その瞬間スパークされるものの
スパイスのストックみたいなもの。

生かすもコロスも料理はレシピじゃないよ
と料理人がいうもんね。

そのバランス感覚、
海の波のようなダイナミズムの中にあり、
なんだろうなあ。

好きなこと、にはたいがい真逆も含まれてるのが
人間の観念的体験らしい。

それを、客観的におもしろがっている時代に
なってきたのかな。

時 には、拡散の時や集中の時もあるし、

そんな中で
夢中になり、客観的になり、

時間を借りて、時間に愛されて、
統合しながら育まれていると、

なんかそんなこと思う

昨日帰り、新幹線待ちの
リモンチェッロソーダ飲みながら
背中の夕景。