春ちゃんは1969年から約40年間、だる満の厨房を支えてくれた女性です。
来る日も来る日もそこにいた 番頭はんみたいに。
そして約10年前の事件の時 特に、NC中田代表や広島の長松寺さんには
大変お世話になりました。 ありがとうございました。
昨日は滝雨でしたが、お勤めのお坊さんを迎えに行こうとすると雨はパッと止み、
勤行中は窓から光が差し込んで、綺麗でした。
お坊さんは、そのお父さんから聴いていたという、だる満の昔話もしてくれました。
思い出すのは昭和の人の多かったころ、僕の幼少期、
毎日大きな寸胴でカレーだけで100人分、 さて何枚あったかの沢山のお肉を叩いて、
ずらーっと並んだ海老をさばき、、野菜の刻む音は絶えず、
大きなボウルにハンドミキサーでマヨネーズやタルタルソースをつくり、
特大の寸胴で鶏がら牛骨、野菜の基本スープを出しては濾して。。
それを春ちゃんの横で台に乗り背伸びしながらみて、気が向いたら真似させてもらってました。
ミキサーのマヨネーズを散らしたりしながら、、。
カレーのなべ底のうす焦げを感じながら、へらで力いっぱいこそげるように混ぜながら
味見をし、「やっぱりこの辺でおいしくなるし、このくらい煮込んだほうがいい」
などと生意気いう僕に「ほんまやなあ、これからこうせなあかん。」と 真面目に育ててくれました。
そんな昭和のシステマティックな大量生産の日々から 平成の”天ぷらの春ちゃん”まで、
共に育てていただきました。
思い出していると、そのシーンはいつでもそこにあって、温度まで感じられるような感じです。
でも実は 誰がいて、どうだった、って事より、営みそのものや、はたまたそのシーンを映し出していた
良心の存在のようなもののあたたかさが 今になってよく感じられるような気がします。
みんなの奥にあるものといってもいいし、逆にみんなその化身といってもいいような。
今はシーズンオフの厨房を 時にお袋と2人でバイキングを用意したりしながら、
昨日、一昨日とバイキングを召し上がった方は3名。 でもホントよくぞ来ていただいたという感じです。
選べる日替わり定食のようなものを平日やってみたり、密かにお客さんの顔を見て
パッと炒め物つくってみたり、その仕込を準備したりしながら、なんか料理屋さんの原点
みたいな楽しさを今はとても味わっています、。
春ちゃん、ありがとう。