一昨日、近年では天ぷらの春ちゃんで親しんでもらった、
逝ったのが一昨日の朝です。
脳梗塞で倒れて数年ですが、
突然でした。
身寄りなく僕がキーパーソンでした。
一昨日からブログを書きながら途中寝たのかアップ出来てなかったので、
以下そうです。
春ちゃんのお通夜から帰ってきました。
皆さんのお話の御供えのお陰で花一杯でした。
ありがとうございます。
春ちゃんは、のべ40年弱という長いあいだ、
だる満の厨房を支えてきてくれた方です。
84歳でした。
小さい頃から番頭はんのような春ちゃんに、
僕は育ててもらいました。
春ちゃんとしての人生はいろいろあって、
最初30年間はずっとヨシムラさんでした。
訳あって偽名だったのです。
詳しいことはまた。
偽名…、 うーんなんとも、Gメン75というか、
太陽にほえろというか、
ある意味昭和なカラーの一面を活かしきったような…
そんな個立際立つ、ならではの人生だったかもしれません。
そんな林春子という人生の単行本を、スッと閉じられたようです。
だる満をほんっとに!献身的に支えてくれた春ちゃん、
また春ちゃんのお世話になった無数のご縁、
書くべきことは沢山あるのですが、
今は感じたことだけ率直に書きますが、
今回の死は、春ちゃんからいろいろ教わりました。
病院から血圧が下がったと連絡あって、
すぐに駆けつけたんですが、
ベッド覗いて、「なぁんだ、大丈夫じゃん、」って声を出してしまいました。
でも実はその時もう息がなかったのです。
そのくらいホッとする感じだったのです。雰囲気が。
僕も天然ですね…
ひとまず僕の両親には店に帰ってもらい、
葬儀社の連絡やら区役所の連絡やらして、
迎えのクルマを待ってる間、
春ちゃんの横で一人すわってる十数分がありました。
本音ではなにか静かに楽しい気分しか沸いてきませんでした。
安心がありました。
一応思考では、春ちゃんは安心してるかな?なんて思うことが、
あまりにちっぽけでそこにエネルギーを使うというか、
ウソっぽ過ぎてフォーカスする気にもなりませんでした。
そうしたらなにか、ういういしいような、
色でいうとピンク色のような丸いエネルギーに包まれたような感じがしました。
春ちゃん?、なんだ、。
そんな数秒感でしょうか、
なんかすごく沢山の事をお話したような気がします。
普段人間のいのちについて問うてることをシェアしてもらったような気がしました。
今日は春ちゃんに教わりました。
春ちゃんであって春ちゃんではないというか、
そういう執着はありません。
ピュアな春ちゃん由来のたましいの存在といえばいいのか。
本当の自分寄りの存在。
「そうですよ、安心してくださいよ」という感じがしました。
死語の、いろんな話をきいたりもしますが、
今、今生を振り返って反省している春ちゃんもいるかもだし、
大安心の春ちゃんもいる。
でも実はそんな層のようでもあり、
パラレルのようでもある意識に
まさに映写機のようにエネルギーを使ってフォーカスを合わせて、
それぞれの主体が観ているそのまま事実となっている。
当人もそれに意識をむける他人もね。
そこは本当のいのちはひとつなのですからと。
自分、人、どのような個をどのようにとらえて感じることもできます。
自分は。
そんなことを春ちゃんとシェアさせてもらったような気がしました。
春ちゃんありがとうございます。
あっというまの、逝って24時間後の葬儀
出掛けようとしたら親父が呼ぶので、
行ってみたら店の前の水鉢にスイレンがひとつ咲いていました。
春ちゃんらしく、飾りのない、シンプルで温かく、
愉しいお葬式でしたよ。