震災後、やはりどこかの片隅にずっとありますね。 次の瞬間、、、
だとしたら、何がしたいか、 何の為に生まれてるのか、、
、、ていうと、これは少し恥ずかしい言い方ですが、
「ありがとう、って御礼を云わなくっちゃ」ってのがなにか
まず思い出されるように浮かんできます。
平素の現実への反応する感情的な我が身からすれば、至極お恥ずかしい至りなんですが
この時折に思い出されるようになった感触は不思議に
ベースに在る感触です。
アタマがズドーンと下がる思いのときもありますが、
ただ少しの微笑みを交わすことや、投げかけるだけのことだったり、
さりげなく意識を向けることだったり、
そんなことが、日常の 例えば仕事の 中にもあることに自覚しながら、
そういう風に在ることを意識していくと、
いかに自分が現実の表面にとらわれているかがアホらしいし、
ありがとうの様々変形によって世界が出来ていると思えてくる。
ありがとうのバリエーションコレクションだと思って世界を観たり、
行動したり、創ったり、
言葉にすると恥ずかしいような感じですが、
でも密かな本音はそんな感じもします。
これこそお恥ずかしながら、、って感じですが。